払ってたまるか

損保側弁護士はこんな仕事をしているのです

 窯を作れ
2 勝手に示談をするな
3 酒を飲んでいた筈だ
4 就労意欲は無いとは言えない


1 窯を作れ

損保社員は信じられないと言う表情で話し始めた。
「今回の被害者は一部上場企業の取締役なんです」
事故は車が煉瓦の外塀に衝突し、煉瓦に20〜30個、傷がついただ゛けの単純な物損であると言う。だが、被害者の主張はとんでも無いものであった。

被害者曰く
(1) 損害賠償と言うのは原状回復である
(2) 同じ煉瓦はもう作られていない
(3) 同じ煉瓦を作るためには窯を作り、煉瓦を焼くことから始めなければならない
(4) その費用として数百万円はかかる

過大請求の典型である。一部上場会社の取締役がこんなことを言うのかと思い、会社四季報を調べたが、やはり間違いなく、取締役であった。

実際にはよく似た色の煉瓦は販売されている。その煉瓦を使い修理したとしても他の煉瓦との区別は殆どつかないのである。法的な賠償としてはよく似た色の煉瓦を使っての修理で十分である。
私は損保・加害者の代理人となって、被害者に法的手続きをとると内容証明郵便を出すことにした。内容証明郵便が被害者に届いた翌日、彼は予約もせず、事務所にやってきた。えらの張った、どこか冷たい感じのする中年男である。彼は挨拶もそこそこに、事務的に要件のみを話した。

「窯を作れと言う話は撤回する。現在、売られている煉瓦で修理することにする。但し、破損した煉瓦の数は20個や30個で無く、もっとたくさんある」
私はこの件はこれで解決したと感じた。破損した煉瓦の数については被害者に写真で証明して貰うことにした。
その後、被害者は虫眼鏡で調べないと分からないような細かい傷のついた煉瓦の写真を何枚も送ってきた。大企業の取締役にしては細かい男である。煉瓦の傷が事故によるものかは分からなかったが、窯を作ることから比べれば、大した金額では無い。
結局、破損した煉瓦の数は倍近くなったが、示談は成立した。

数年後、私は被害者の小さな顔写真が新聞に掲載されているのを見つけた。「窯の男だ」と直ぐに分かった。新聞の記事によると彼は一部上場企業の社長になったと報じられていた。あの男も偉くなったと感心した。
私は「窯の男」が、虫眼鏡で煉瓦の小さな傷を捜している姿を想像しながら、過大請求を平気で出来るような人間でなければ大企業のトップにもなれないのだろうかと思いにふけった。


2 勝手に示談をするな

被害車両の中古価格は約20万円、修理をすると修理代は60万円となる事案であった。修理代>中古価格の場合、「経済全損」と呼ばれ、「物損編Q1」でも紹介しているように、加害者側の賠償義務は中古価格の限度である。ところが、被害者は修理代を請求していた。損保側は示談交渉は無理と判断して私に事件を依頼した。

私は電話で被害者と少し話したがかなりの理屈屋さんであった。
被害者は言った。「弁護士に相談したが弁護士から、中古価格しか払わないと言うのは保険会社の勝手な理屈だと言われた。だから、修理代を請求する」
とんでもない弁護士もいるもんだと思い、解決の方法を検討することにした。
結局、債務不存在確認訴訟を提起することにした。債務不存在確認訴訟とは加害者が被害者に対して「払うべき債務は無い」と確認する内容の訴訟である。今回の件の場合は中古価格が約20万円であったので「20万円を超えては払うべき債務が無い」と言う訴えとなった。

第1回の口頭弁論期日に被害者は弁護士をつけず、本人が出頭。被害者は意外にも物腰の柔らかい紳士風の老人だった。そして、信じられない証拠を出してきた。それは示談書だった。しかも、示談書には「加害者は修理代を支払う」と書かれている。
加害者がこのような示談をしたと言うのは寝耳に水である。修理代>中古価格の場合、加害者の法的賠償義務は中古価格の限度でしか生じないが、加害者が修理代まで支払うと認めたならば法的賠償義務は修理代と言うことになる。

裁判所から事務所に帰って、私は直ぐに加害者に電話をして示談書に署名した経緯を尋ねた。

加害者によると裁判がある2〜3日前、被害者本人が加害者の所にやって来た、そして、示談書に署名して欲しいと言うので署名したと言う。被害者は極めて穏やかな話しぶりであり、強迫等など全く無かったとのことであった。
「どっちみち払うのは保険会社なんだし、修理代払うのは当然なんでしょ。示談書に判子押してはいけなかってんですか」と加害者は平然と言った。
私は「弁護士がついているのに勝手に示談書にサインするな」と怒鳴りたい気持ちを押さえた。

ところで、示談書を良く読むと「修理代は対物保険で支払う」と書かれてあった。
ここが攻め所だと思った。そもそも、対物保険は加害者が法的賠償義務を負う範囲でしかカバーしないのである。従って、対物保険で支払われるのはこの事件の場合、中古価格が限度である。と言うことは加害者が修理代も対物保険で支払われると思い示談をしたのは明らかである。つまり加害者が勘違いをしていたのだ。
これは民法上の「錯誤」である。そして、「錯誤」が認められたならば示談は無効となる。
私は裁判所に「錯誤」を理由に示談は無効であると主張した。

示談書が無効にならなければ、中古価格を超える分は加害者本人に自腹を切って払って貰うしかなかった。それは私の責任では無い。勝手に示談書にサインした加害者が悪いのである。

幸いにも、裁判所は私の言い分を認め、示談は無効との判決を下した。
示談は無効でも中古価格の20万円は支払わなければならない。私は被害者にFaxをして賠償金の支払い口座を教えて欲しいと連絡した。理屈屋の被害者だから控訴するとか、賠償金は受け取らないとか言ってくるかも知れない、また、面倒なことになるな。そう感じていた私に被害者から、銀行口座を書いたFaxが送られてきた。おまけに文書の最後には小さく「ご迷惑をおかけしました」と添え書きがされてあった。
「全く加害者も被害者も本当に迷惑をかけて」と力が体から抜けた。


3 酒を飲んでいた筈だ

事故を起こして運転者などが怪我をした場合、自分の車にかけている保険を使う場合がある。搭乗者傷害保険とはそうした保険であり、入通院に応じて定額の保険金が支払われる。但し、運転者が飲酒をしていた場合は保険会社は保険金を支払う必要は無い。
搭乗者傷害保険の請求がある場合、酒を飲んでいたか問題となることも多い。

保険会社の契約者が自宅マンションの敷地内で自損事故を起こした。マンションの管理人が駆けつけると車の運転者(契約者)はグデングデンに酔っぱらっていて何事かをわめきながら、自分の部屋に戻ったと言う。ところが、契約者はその後、事故で怪我をしたとして入院、保険会社に搭乗者傷害保険を請求した。
契約者は「マンションの管理人は出鱈目を言っている。おれは酒など飲んでいない」と強硬に主張し、深夜、嫌がらせの電話がしつこく代理店にかかってくると言う。代理店が「助けてくれ」と音を上げていた。

損保側はかなりの調査をしており、契約者が今回の事故直前、契約者が飲酒運転をして罰金を喰らってくることも分かっていた。今回の事故の時の飲酒をしていた疑いは濃厚であるが、今ひとつ、固い証拠が無い。マンションの管理人も契約者がうるさく言うので「酒を飲んでいる様子だったと言った覚えは無い」と発言を翻していた。
担当者からこの件を依頼されて私は債務不存在確認の調停を申し立てることにした。訴訟ではなく調停にしたのは依頼された時点で飲酒の立証が出来ていなかったからである。

この事故は警察が介入していないため、どのようにして調査をするか当初から壁にぶち当たった。私は契約者が事故から数時間後、救急車で病院に入院したことを知り、救急隊に弁護士照会をして見ることにした。照会の要点は「どのような理由で救急隊が現場に急行したか」と言う点であった。

その結果、「契約者はかなり飲酒をしており、歩いている時、転倒して負傷、病院に搬送した」と言う回答が帰ってきた。
事故時に飲酒していたと言う証拠では無かったが、病院に入院した理由は事故による負傷ではなく、事故から数時間後の転倒であることが判明した。この点からも搭乗者傷害保険金は支払う必要がないと判明した。

さて、調停が始まり、契約者は「酒は飲んでいなかった。怪我は事故でしたものである」と主張、損保側との言い分は真っ向から対立することになった。
程なくして、契約者は再度、飲酒運転をして事故を起こした。彼が飲酒運転の常習者である疑いがますます濃くなった。だが、問題の事故の際、飲酒運転をしていたと言う証拠が無いことには変わりはない。何かもう一つ固い証拠が欲しかった。
調停をどのように進めていこうかと思い悩んでいたが、契約者は突然、調停期日には欠席した。理由は入院と言うことであった。

入院・・・・・・確かに彼はいい年だったからな、どこか体に悪い所が出てきてもしょうがないと最初は感じた。と同時に、ひっかかるものがあった。
駄目元で私は病院にどのような理由で入院したか弁護士照会をすることにした。
帰って来た回答は「アルコール依存症」であった。

事故時に飲酒運転をしていたことは証明が出来なかったが、事故前後の飲酒運転、アル
コール依存症。状況証拠から飲酒運転の証明は可能だ。また、負傷したのも事故では無く転倒によるものである。これだけ証拠があれば裁判をしても勝てる。私は調停を取り下げた。

あとは相手から訴訟を提起されるのを待つだけだった。しかし、うるさかった相手からも全く連絡が無く、訴訟も提起されず、年月が経過した。やがて、彼の搭乗者傷害保険請求権は時効になった。


4 就労意欲はないとは言えない

被害者は詐欺罪で刑事事件において有罪を言い渡されていた。詐欺と言っても、事故自体は仕組まれたものではなく、また、怪我をしたのも事実だった。保険会社からだまし取ったのは交通費だった。被害者の手口はこうである。
まず、毎日のようにタクシーで通院する。その際、タクシーの乗務員から真正の領収書の他に日付と金額の無い領収書を貰う。そして、白地の領収書がたまった段階で、自分の車で通院をする。それをタクシーで通院したと偽り、領収書に金額と日付を記入、交通費を保険会社に請求するのである。
保険会社も怒り心頭で債務不存在確認訴訟を提起したが、怪我をしたこと自体は事実だから、かなり大きな額を認める判決が出されてしまった。

私はこの件の控訴審を依頼された。
被害者は仕事をしていると言う証拠が無い。しかし、被害者は1審では「仕事をしている」と証言、判決では休業損害が認められていた。そこが最大の争点だった。
交通事故の刑事記録には事故状況しか書かれておらず、参考にはならなかった。私は詐欺罪の刑事記録を謄写することにした。

刑事記録には事故前から、ずっと無職であると被害者自身供述していた。これで1審の証言は虚偽であることが証明出来た。
但し、ここで問題がある。事故時、無職と言うだけでは休業損害を否定することは出来ない。就労意欲が無いと言うことまで証明することが必要である。
だが、この点も刑事記録が貴重な証拠となった。被害者は妻子がいるにも関わらず、毎日、女性と密会していたのだ。不倫相手の女性の供述調書もあった。2人はよくも飽きないなと関心するくらいの密度で逢瀬を重ねていた。一方、仕事を探すと言う努力などは全くしていなかった。

更に、新たな事実が分かった。被害者は2年前にも事故にあい、2000万円近いの賠償金を得ていた。働く必要もなかったのだ。
仕事も捜さず、毎日、不倫相手と密会している人間に就労意欲が無いことは明らかである。控訴審は勝ったと私は確信した。

私は高裁の法廷に自信をもって臨んだ。だが、判決を聞いて耳を疑った。控訴審は1審と同じ判決を下したのだ。予想外のことであった。
判決文には休業損害の点に触れ「就労意欲がないとは言えない」と簡単に判断されていた。何故、「就労意欲がないとは言えない」と判断したのか何の説明も無かった。
敗訴判決と言うのは何度も読んでいる内に「やっぱり負けても仕方がないな」と言う気分になって来るものである。しかし、この判決だけはどうしてもそうした気分になれなかった。

勿論、上告審は法律審だから、こうした事実誤認を理由に上告する訳にはいかない。判決を飲むしかなかった。
実はこの事件、損保顧問弁護士としての最後の事件であった。それが負けとは何とも悔しい限りであった。何かいい手は無いかと思案した。私はあることを思いついた。被害者は交通費を騙しとっていたのである。判決で認められた損害からすれば僅かな額であるが、さっ引くことは出来る。私は被害者側弁護士と連絡とり、その旨を伝えた。あっさりと被害者側弁護士も了承した。
ようやく私は一矢報いた気分になれた。